沿革

1930年(昭和5年)
  鶴見橋教会は、羽根田薫牧師により、大阪市西成区鶴見橋に「大阪アドベント基督教会」
  として創設される。

1941年(昭和16年)
  「日本基督教団」が成立し、これに所属すると共に教会名を「日本基督教団 鶴見橋教会」
  と改称する。

1983年(昭和58年)
  大阪市西成区津守に教会堂を建設し、鶴見橋教会は2回目の移転をする。この教会堂は
  現在の「鶴見橋会堂」となる。

2020年(令和2年)
  「大阪西野田教会」と合同する。

2023年(令和5年)

  西野田会堂のみとなる
   

歴史

鶴見橋教会は、1930年(昭和5年)5月1日に大阪市西成区鶴見橋通二丁目に羽根田薫牧師によって「大阪アドベント基督教会」として創設されました。羽根田牧師の後ろ盾となったのは、アメリカのマサチューセッツ州ボストン市にあったアドベント・ミッション本部でした。奇しくもその年の5月19日、ホーリネス教会では「大正のリバイバル」に続く「昭和のリバイバル」が柏木聖書学院修養生を中心に起こり、またたく間に全国に拡がつていきました。

羽根田薫牧師は、ホーリネス教会の著名な伝道者と交わりが深く、教会設立の二年後には夏期聖会に車田秋次師、秋期講演会に伊藤馨師、清水良太郎師を講師として招いたという記録と記念写真が残っています。更に、戦後も小原十三司師、特に伊藤馨師は数回に亘り講師として奉仕をして下さっています。

1941年(昭和16年)6月、日本国内のプロテスタント三十三教派が合同して「日本基督教団」が成立し、鶴見橋教会は「日本基督教団 鶴見橋教会」と改称し「大阪西野田教会」と共にこれに所属しました。同年12月に日本はアメリカ・イギリスに宣戦布告して太平洋戦争に突入します。翌1942年(昭和17年)6月に、「ホーリネス弾圧事件」が勃発します。大阪西野田教会は牧師が検挙され殉教するという

受難を被りました。鶴見橋教会は別の教派のため難を逃れました。

1945年(昭和20年)8月、日本国敗戦によって太平洋戦争は終結し、いわゆる戦後が始まりました。戦後、鶴見橋教会は日本基督教団に所属しながら単立教会(独立した教会)のような形態で福音・宣教を行なうようになります。

1950年(昭和25年)10月、教会堂を大阪市西成区西四條一丁目に新築献堂し移転しました。1958年(昭和33年)には二代目牧師として羽根田豊牧師が就任します。1983年(昭和58年)には教会堂を大阪市西成区津守二丁目に新築献堂し二回目の移転を行ないました。羽根田豊師が1994年(平成6年)に隠退した後、四人の牧師によって牧会は支えられて来ましたが、2020年(令和2年)8月に大阪西野田教会と合同して「日本基督教団 西野田鶴見橋教会」となり現在に至っています。

 年 月内 容 牧 師 所在地
19305「大阪アドベント基督教会」
として創設される
羽根田 薫大阪市西成区鶴見橋通2丁目
19327教会名の英語表示を
日本語表示
「大阪基督再臨教会」に変更
〃〃
19416「日本基督教団 鶴見橋教会」に改称〃〃
195010教会堂移転〃大阪市西成区西四條1丁目
19585羽根田 豊牧師就任羽根田 豊〃
19839教会堂移転〃大阪市西成区津守2丁目
19943山本 昇牧師就任山本 昇〃
20064渡邊 聖一牧師就任渡邊 聖一〃
20095田中 寛也牧師就任田中 寛也〃
20194高橋 容子牧師就任高橋 容子〃
20208「大阪西野田教会」と合同し
「西野田鶴見橋教会」となる
高橋 順大阪市福島区玉川4丁目 (大阪市西成区津守2丁目)